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これまでの活動

学都松本 学園都市の構築

学制発布を受けて1873年5月6日、開智学校(のちの松本市立開智小学校)は創立されました。明治維新による松本藩学、廃藩置県による筑摩県学と続いてきた県下第一の小学校の流れを受け継ぎ、開智学校で実践された教育は学都松本の礎を築くことになりました。時の筑摩県参事(後に権令)であった永山盛輝は教育行政に特に力を入れ、その積極的な教育振興策により、筑摩県は全国平均の約2倍の就学率を達成することになります。学校は当初、廃仏毀釈で廃寺となった全久院の建物を利用し、永山盛輝らの主導により建設された新校舎においては、工事費の約7割を松本町全住民の寄付により調達しました。形にこだわらない、将来世代に対する熱意は、いまなお大いに参考に値します。

かつて至る所に見て取れた「長野県は教育県」の趣はすっかり鳴りをひそめてしまいましたが、いま再び信州はアイデンティティーを形にすべき時です。長野県が現在目指している観光立県を担う将来人材、あるいは松本市が取り組んでいる“楽都”“岳都”の将来を担う人材を養成するに足る仕組みを、しっかり整えていく必要があります。アイデアとひらめき、創造性とチャレンジ精神、若さと活気あふれる学園都市の構築は、山紫水明の学都の未来図です。