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アートが街をデザインする。

先日遅ればせながら銀座シックスへ。

目を引いたのはやはり松本市出身の芸術家、

草間彌生氏がデザインした水玉かぼちゃ。

まるで美術館の天井のようにも思えた。

草間氏の評価が地元よりも県外や海外の方が高い気がするのは私だけか・・・。

さてそれはそうと、

アートが街をデザインするという認識は大切だ。

特に地方でこそ、その認識は共有されねばならない。

長野県は美術館・博物館の数が東京都に次いで第2位であるとか、

その恵まれた自然環境からアートに親和的な土地柄であると言われる。

松本市も楽都として草間氏や指揮者の小澤征爾氏らを筆頭に、

文化芸術に積極的な姿勢である・・・と、一般的には認識されていると思う。

しかし、例えば行政の文化振興策をみてみると、

これで文化芸術がますます浸透していくことだろうと思える施策は稀有である。

知る人が見れば、いつかどこかで見たような・・・というメニューが多いのではないか。

無論無理もないと感じるのは、

文化芸術に関しては特に行政はプレーヤーにはなり得ないということだ。

やはり芸術家やアートリーダーが先頭に立つべき分野であり、

もっといえば一人ひとりの市民がプレーヤー足り得ることが大事である。

今のわが街わが県の状況としては、

アートがそもそも市民の生活にとってどのような効用があるか疑わしく、

仮に良いものだとしてどのように付き合っていけばいいか分からず、

したがって行政としてもそれをどのように展開すればいいか分からない。

そんなところではないか。

しかしアートが近いと言われる街に行って思うことは、

市民がアートに対してきわめて寛容な姿勢を示していることである。

ミュージアムやギャラリーの献身的な活動はもちろん、

書店もアートとともにあるし、

ホテルでもカフェでも地元のアーティストの作品が展示の機会を与えられている。

アートは自らの芸術的感覚を呼び覚まし涵養するだけではなく、

他者に対する理解や共感という要素も含むだろう。

成熟社会にはその精神的効用は必要なものである。

壁画に対する「これはアートか落書きか」などという話をしばしば耳にするが、

それらは日常的に起こってほしい論争だ。

アートがない街は無機質だし、

アートが乱れている街は治安が悪いし、

アートが調和している街は素敵だなあ。

旅する度に思ったのはそんな感情だ。